「新年開けまして おめでとうございます」と平凡な挨拶を交せない人々が今、地球上にたくさんいますね。宗教・人種その他の違いの故に争い、飢える人々が・・・。
「それぞれの流儀で生きる」には地球は狭すぎるのでしょうか?
先日、縄文~擦文文化の時代の集落、家、さらに後の時代の北方の精緻な生活の品々など見ました。暖かいアフリカ大陸で生まれたヒトが遠く離れた極寒の地まで進出し、生活で用いた品々・衣類はみごとで、狩猟採集を主とした彼らの日々が、もし互いに争うばかりであったなら、あれほど立派なものは出来まい、と感嘆と共に思いました。
「もっと」の向上心は進歩に必要/貴重でも、足るを知る~分ち合うことも平和には必須。環境によって生命存続に掛かる度合いは違いますが(極限の世界では、阿修羅の如く動いて生き延びるのだとすれば)そのような試練に出会わないことを祈るのみです。
生き延びる
ごとく
さまで生き延びることになるのでしょうが、そのような試練に出会わない用祈るのみです。